井戸端会議家庭内安全保障

2023年06月04日

みんな途上

最近の私の平和を、何も恐れることのない生活を、
どう表したらいいものか、
こんなふうに自己完結していていいものかどうか、
多少後ろめたく、逆に疑いたくなるぐらいだ。

生命は生きることを目的に生まれてくる。
そもそもの話、地球上どの地においても、
人間に限らず動物も植物も、長い長い種の歴史には、
生きるという目的のために、
環境に順応しようとする進化が繰り返されている。
力をもった男性が生きながらえるとして、
力で作ろうとしてきた社会に、力で及ばない女性が、
従属してしか生きられないと悟ったとしても仕方がない。
子孫を残すのに役立ち、戦い疲れたときの慰めになり、
男性に、所有したいと思わせられる女性こそが優れた女性だと、
女性自身が学んできたとしても不思議ではない。

そして私を育てた母はまだ、その域の女性だ。
夫に従属して生きることが、当時の流れに乗ることだった。
そしてここまで生きてこられた。それで十分ではないのか。
どこか何かが、自分で考えて選んだ人生ではなかった。
してきた努力や耐えた我慢に、見合った報酬を確認したいのか。
尽くしてきた夫だったり、育てた子供だったり孫だったりに、
自分の価値を重ねて胸に刻むのが慰めだ。
理解はできる。彼女はそうやって生きてきた。

そんな既存の価値観で、弱者が生きた長い長い歴史を思う。
学校で習った時代を遡る。何百年、何千年。
人間はなんて長い間、お互いを尊重し合うという崇高な関係に、
及ぼうとしてこなかったのだろう。
民主主義が生まれるまで、どれだけかかったことだろう。
マイノリティが声を上げ、その声を聞こうとする動きを、
見聞きできるようになったのは、最近のことではないか。
女性が一人でも生きていける社会も、
ここまで来るのにどれだけの、苦悩の生涯を数えたか分からない。
離婚して、私が一人で生きようと楽観できるのも、
今の時代であることが大きい。
父や母が、彼らの時代を生きようとして信じてきた価値観を、
その時代にいなかった私が、否定したり諭したりする意味はない。
だから、次世代を生きようとする私を、
彼らが否定するのも理解を示すのもナンセンスだ。

私は熟年離婚をするに当たって、
いい歳をして、親に非難されたことに傷ついて、
その期に及んで、親の理解を期待していた自分に気づいた。
親に従って生きるしか術のなかった子供の頃、
強大な両親の前に、自分の感覚を信じることが難しかった。
親の感覚を自分のもののように取り込んで、
繋がっているように感じて生きながらえる癖が、
結婚して親となり、離れて暮らす私の中にまだ、
こうまで蔓延っていたなんて知らなかった。
気づいたことで振り返れば、
結婚相手に元夫のような男性を選んだことも、
離婚に及ぶ不和に身動きが取れなくなって、
生きている感覚がしなくなったのも、そこに原因があった。
傷を深くえぐることになったけれど、
疑いのない真実を否定して、引き返す選択はなかった。
逃げずに向き合えば、傷は癒える。
傷ついた理由を理解すれば、同じ傷を負わずに済む。
それが私が辿り着いた、これまで感じたことのない平和だと思う。

誰もがいくつになっても、知らない未来に向かっている。
そもそも限りある生命が、何かを絶対視して、
永遠が手に入ると思うことが間違いだ。
親になったからといって絶対の人間になるわけでもなく、
ならなければならないわけでもない。
統治者になったとしても同じだ。
誰もが途上であることを認めて、自分の持ち場に取り組めたら、
力を誇示する必要などないではないか。
幼い私が崇拝した両親の姿は欺瞞だった。
持ち上げて頼って寄り添って守って、私も欺瞞の中にいた。

人類は間違いなく、ゆっくりゆっくり進化している。
各方面、共存すること以外に、存続が望めないことは明らかなのに、
染み付いた価値観は、焦れったいほど変化を好まない。
考えずに恩恵に与れるとあれば、崇拝者が押し寄せるのに驚く。
それだから大げさに力を誇示する人も絶えない。
個人の利益に安易に走る、考えない人が多いほうが、
手間なく操り易く、統治しやすいからだ。
安易に手に入るものは、本当に欲しい物なのか。
そして気づいたときには、自分が乗じたことを省みず、
話が違う騙されたと訴えるのだ。
気づいたとき、この世でなかったらどうする?
生き直すチャンスさえなかったら。

自分の現状を誰のせいにもせず、
自分にあるものと足りないものを省みることができて、
常にできることで、自分を前に進めている人がいる。
それが生きることになっている。そういう人に憧れる。
おびただしい犠牲の上に、自由を訴えてきた歴史を思えば、
不都合を誰かのせいにして、甘んじて生きるだけなんて、
自由の意味はないし、生きようとする生命の無駄遣いではないか。
挑戦や努力の先にあるものを見てみたい。
何かできることをと思い始めた、私も途上。



kuturoguhebitomomi at 08:40│Comments(0)

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