大人の相互関係拠りどころ

2022年12月08日

離婚記念日

すっかり忘れていた、離婚記念日。あれから1年が経ったのだ。
去年の11月末にやっと話し合いの場が持てて、
離婚に合意をもらった。
同居の娘と二男に加えて、離れて住む長男も、
今どきのリモートで立ち合ってくれた。
同じ家に暮らしながら、異様で駄目になっていく両親を見兼ねた、
子ども達に助けられ導かれたところが大きい。
12月に入って最初の仕事が休みの日、
私は一人で離婚届を出しに行った。

離婚をするのに、綺麗にという言い方が、
当てはまるかどうかわからないけれど、
ある意味綺麗な、閑散とした終わりだった。
どうして婚姻関係が続けられなくなったのか、
核心の部分にはとうとう触れることはなかった。
元夫は私の話に全て頷き、私の望みを叶える形で、
離婚に伴う事務的な話をしただけだった。
印象に残っている彼の言葉がある。
「で、結局何が駄目だったの?
 今日はありがとう。また顔を出させてください。」
そこに至るまで何年も、話し合おうとする度逃げていく元夫に、
自分の存在が消えかけて苦しかった。
何度も味わった同じ虚しさが、最後の日に同じだった。
『何が不満だったのかは分からないけど、君の望みは叶えたよ。
 これで問題ないだろう?付き合ってはいけるよね。』そう聞こえた。
もうあのとき、離婚の合意を得ることだけが私の目指すところで、
婚姻関係破綻の理由を、自分が何も負わずに済ませることが、
彼の妥協点だったのだと思う。
これからは、足を引っ張り合うこともない、
お互い、自分のことを自分でなんとかすればいい。
やっとやっと前に踏み出せる、解放感に満ちていた。

彼にとって、主張したり主張されたりすることが、
どれほど避けたいことだったのか、
結局私は何一つ納得できないまま、
自分の気持ちを整理していかなければならなかった。
彼のように、自分を冷静に省みられない精神状態を調べ続けて、
パーソナリティの問題に行き着いた。
彼のようなパーソナリティに依存してしまう不健全なパーソナリティが、
私の中に巣食っていたことに気づいた。
もう彼の問題ではない。
私の問題は、これからの私自身と、
母親の私を頼って育って、捨て切ることが難しい子ども達に関わる。
自分を育て直すことを考え続けた1年だった。

生活は特に、1年前と変わっていない。
元夫とはそれまでも1年以上別居をしていたし、
長男は早くから独立して、離れて住んでいて、
就職で地元に戻った長女と二男と、私は暮らしていた。
でも、どうやって生活が成り立っていたかも分からない、
それまでの長かった暗闇を思えば、
心は柔らかく、目には広く遠いところまでが見える気がする。
ただ、家にいれば娘と息子と家族でいて、
職場にいれば上司や同僚、関係部署の人たちと関わる。
日常生活をこなしながら、自分を見つめ直す心易くない作業は、
なんとか自分に帰る時間が必要で、いつも家族のことばかりの、
ただの世話好きではない私を主張することでできてきた。

専門家の著書を読み漁ってきた。
説明が抵抗なく入ってきて、私の中に刻まれて積もっていく。
私は適切な愛情を親から与えられずに育った。
そのせいで多少偏っている。
自分を傷つけた親のようにはなるまいと、
子ども達を育ててきたつもりだったけれど、
親の前では、親を動揺させない良い娘でい続けた。
多少の問題こそあれ、愛されて育ったと思いたいために、
そうではない真実を隠し続けてしまった。
1年かかって、やっとやっと今そんなところ。
親は親、私は私。愛されようとする努力を諦めたところ。

自分の気持ちを誤魔化さないで主張すると、
自分勝手で嫌な人間になったような気がしてしまう。
自分の気持ちに従ったあとで、
周りへの配慮がなかったような気がして自己嫌悪に陥る。
多分これまでは、自分の気持ちに従う前に、
自分のすることが周りにどう影響するかを先回りして考えて、
自分の気持ちは前に出なくなった。
親の恐ろしい形相を見ずに済めば、自分を誤魔化せばよかった。
良くも悪くも人に譲ってばかりでは、
私を知りたいと思ってくれる人には出会わない。
譲られて当然だと思うような自惚れた人にしか求められない。
いつも自分でいて、それでも繋がっていられる関係があることを、
確かめなければならない。

晩きにつけ今から、私の課題に付き合ってくれる人はいるだろうか。
健全な対人関係を持つ人たちに比べて、
人に気を許した経験が少ないのだろうと思う。
子供の頃に子供らしく表してこなかった喜怒哀楽を、
これから受け取ってくれる人はいるだろうか。
まあ子ども達には、多かれ少なかれ付き合ってもらうことになる。
私が私の両親に対して、長年して見せてきた親孝行に見える配慮を、
私は自分の子ども達には望まない。
子ども達が私の力を必要とせず、
自分で考えて決めて、進んでいくところが見たい。
これまでしてきた気遣いが本物ではなかったことを、
態度で示していくことになる。
子ども達にとって私の両親は、
優しいおじいちゃんとおばあちゃんの顔しかしていない。
その顔を守れなくても、私は揺るがない。

離婚記念日は、ちょっと振り返る日になった。
何よりその日を忘れていたことが、
過去に囚われずに進んでいるということだと思う。
でも今の私がいることの、大切なきっかけとなった日。
また来年、今が振り返られる過去になる。



kuturoguhebitomomi at 10:33│Comments(0)

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