毒親という考え方母親業、試練のち覚悟

2022年05月21日

愛されようとする努力

仕事が続かなかったり、結婚に失敗したり、
何かが怖くて引きこもったり、
訳の分からない苛立ちに暴言暴行を抑えられなかったり、
原因不明の頭痛に苦しんだり、ある朝突然立ち上がれなくなったり、
科学的根拠で解明できない不調の原因が、
幼少期、親に精神的に虐待された事実や、
子供らしく無邪気に過ごせる環境を、
適切に与えらなかったことを、指摘する声に引き寄せられる。
向き合わなければならないことが、
私にはまだあるようだ。

重症度の差こそあれ、私の心の中にも傷がある。
思い出し考えるだけで、涙が出たり苦しくなったりする出来事が、
何十年経っても私のどこかに残っていて、
今ここにある平穏な日常の中にいても、
簡単に浮かび上がらせることができてしまう。
でもそんな感情は、自分で理解して、
コントロールできるようになれば、それでいいと思っていた。
小さい子供の頃の私の心に深い傷を負わせた両親は、
私だけのために存在するわけでも、
私だけのために変わるわけでもない。
これ以上傷つかないように距離を取っていれば、
いつか誰にでも死が訪れて、
全てが水に流れていくことだろうと思っていた。
でも、そうではないと言うのだ。
一人の人間の人格形成に大きな影響を及ぼした幼少期の信条は、
その根を植え付けた人間がこの世を去っても、
残った人間の中から消えることはない。
自分を偽らなければ生きてこられなかった人間は、
幼少期を振り返り、事実を受け止め、
その信条と決別を果たさなければ、克服できないのだという。

ー『親が間違っていて自分は間違っていない。』と考えるのは、
 小さな子供にとっては無理なことだ。
 不健康な親の子供は、2つの親の嘘を信じさせられる。
 『自分は問題のある悪い子だ』という嘘と、
 『親がたたいたり汚い言葉で貶したりするのは、
  自分が悪いからで、親に問題があるからではない。』
という嘘。
 子供は生きるために、子供を愛する能力のない親の中にも、
 親の愛を見出そうと努力して子供時代を送る。
 本当なら、持って生まれた自分の能力を磨くためのエネルギーを、
 親の精神安定のためにほとんど費やしている。
 大人になってもその心理状態が消えることはない。ー

ー子供の時から親との関係を通して培われた、
 問題のある人を救いたがる性質も、根強く残っていく。
 それが例え苦痛に満ちた感触でも、滅んでいく感触でも、
 慣れ親しんだ感触を再び繰り返したいという衝動は、
 無意識的に誰にでもある。
 今度こそうまくやれるに違いないと思って、
 無意識のうちに過去のトラブルを繰り返す道を選ぶ。ー

私の親も心の不健康な親だった。
私が問題のある人を救いたがり引き寄せる悪い癖は、
不運や不幸をいつも背負っているようで不機嫌な母を、
なんとか喜ばせて笑顔にさせようとしてきた経験で、
身についてしまったのだと思う。
そしてもうひとつ、母は誰とでも競おうとする人だったことがある。
もしかしたら母が子供の時、誰かと競って勝ったときにだけ、
自分が認められるというパターンが繰り返されたのかもしれない。
母は、私が同級生の中では優良であることを期待し要求しながら、
自分よりは優位に立たないように、嫌味を言い、辱め、
私を弱い立場のまま抑えつけておこうとした。
私には、努力しながらあまり成功しないことが、
心の平安を得るための対価だったかもしれない。
無意識のうちに、不幸だと思う男性を選び、
母に勝らないことを選んでしまっていたのかもしれない。
そこから抜け出さない限り、
せっかく離婚できても、同じことを繰り返してしまう。
私の子ども達が親になる前に、
身を持って示すにはどうしたらいのだろう。
小さく弱い立場に生まれる子供というもの、
親とは別に尊重される人格を持った存在だということ。
自分の感覚を信じて、生きていくことが許されるということ。

それまで付き従っていたものに反抗心を見せて、
自分はこれまでと違うのだと、知らしめることでは終わらない。
親の望まない離婚を実現して、これが私だと胸を張るだけが、
本当の私ではないのだ。
この先も譲れる限りの誠意で、親を守ろうとしていないか。
あわよくば私の生き方が理解されることを、
まだどこかで期待してしまっていないか。
思い当たってしまいそうで、自信がない。

声に出して読めるように丁寧なアドバイスが載っている。
ー私は、いつの日か両親が、
 私を理解してくれたらという幻想を、今ここに捨てる。
 私は、もし両親がああでなくこうだったらという希望や願望を、
 今ここに捨てる。
 私は、子供の頃に親を変えるために、
 何かができたのではないかという幻想を、今ここに捨てる。
 私は、愛情ある素晴らしい親を持つことは、
 永久にないということを、今ここにはっきりと自覚する。
 私はそのような親を持てなかったことを深く悲しみ、
 全ての幻想に、永遠に心静かに別れを告げる。ー
 
これは、私がこれまで無意識にしてきた、
愛されようとする努力をやめることではないか。
努力しなくては愛されないというのも、
愛されるには痛みを伴うものだいうのも嘘だ。
何度も読み返す。
きっときっと、もっともっと、心が軽くなる。



kuturoguhebitomomi at 17:05│Comments(0)

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